鍼の治療には、「補(ほ)」と「瀉(しゃ)」という二つの考え方があります。
補とは、体の力が足りないときに助ける方法です。
瀉とは、体に余分な負担や過剰な反応があるときに、それをしずめる方法です。
東洋医学では、体の状態を「虚」と「実」で考えます。
虚とは、エネルギーや働きが不足している状態です。
実とは、エネルギーや反応が過剰になっている状態です。
基本の考え方は、「足りないものは補い、余っているものは取り除く」ということです。
これは、体の一部分に対して行うこともありますし、体全体の状態を見て行うこともあります。
「補」という字には、与える、増やす、助ける、元気にする、という意味があります。
「瀉」という字には、取る、減らす、抑える、取り除く、という意味があります。
現代的に言いかえると、補は「体が本来もっている回復力や調整力を高めること」です。
瀉は「回復や調整をじゃましている原因を取り除くこと」です。
つまり、補は生命力を高め、体を元気な方向へ導く方法です。
瀉は病的な反応や余分な緊張をやわらげ、体を整える方法です。
補と瀉は、いつも同じ強さで行うわけではありません。
虚の程度や実の程度によって、刺激の強さや方法を変えます。
刺激の量を調整することで、体への作用のしかたが変わります。
そのため、補には「ゆるやかに補う」「長くとどめて補う」など、いくつかの種類があります。
瀉にも「すばやく行う」「徐々に行う」など、段階があります。
また、浅く鍼を動かす方法や、深く鍼を動かす方法など、手技の違いでも補瀉を使い分けます。
古い書物には、鍼は直接悪いものを追い出すのではなく、体の中の正しい力を高めることで、結果として悪いものが退いていく、と書かれています。
これは、鍼が体の自然な治癒力を引き出す治療であることを示しています。
昔は、補や瀉を行うときに決まった言葉を唱える作法がありました。
これは言葉そのものの力というより、鍼を体に入れたときの反応の違いや、時間のかけ方による作用の違いを大切にしていたと考えられます。
1.補法の手技
補の治療では、鍼をあらかじめ温めます。
経絡の流れに沿って、指でやさしくなでます。
ツボを軽く押さえ、爪で位置を安定させます。
体に鍼の響きが来るのを待ちます。
経絡の流れに従い、呼吸に合わせてゆっくり鍼を入れます。
体が反応するまで、鍼をそのままにしておきます。
反応が弱いときは、響きを引き出す操作を行います。
治療が終わったら、吸う呼吸に合わせてゆっくり鍼を抜きます。
抜いたあとすぐに、鍼を刺したところをやさしくなでて閉じます。
2.瀉法の手技
瀉の治療では、鍼は温めずに使います。
経絡の流れに逆らって皮膚をなでます。
ツボを押さえ、爪で位置を定めます。
体の反応が出るのを待ちます。
経絡に逆らう向きで、吸う呼吸に合わせて鍼を入れます。
反応が出たら、呼吸や咳に合わせて鍼を抜きます。
鍼を抜いたあと、刺したところを閉じず、少し開くようにします。
補や瀉がうまくいったかどうかは、治療前と治療後の体の状態を比べて判断します。
脈や体の感覚が整っていれば、目的は達成されています。
十分でない場合は、追加で治療を行います。
これは、バランスの乱れた体を、整った健康な状態へ近づけるためです。
参考 鍼の手入れと保存について
鍼の手入れと保存は、治療を行ううえでとても大切です。
鍼の先が丸くなっていないか、曲がっていないか、錆びていないかを日ごろから確認します。
鍼は、治療家にとって大切な道具です。
切れ味の悪い鍼では、十分な治療効果が得られません。
鍼の状態をよく理解して使うことは、治療の基本です。
良い鍼を使わないと、操作がうまくいかず、治療の質も下がります。
毎日、鍼を点検し、細かい研磨材や革でやさしく磨きます。
湿気を避け、錆びないように保管します。
必要に応じて、専門の業者に研ぎ直しを依頼します。
よく手入れされた鍼は、痛みが少なく、体にやさしく作用します。
そのような鍼を使うことで、安心して治療を受けていただくことができます。
参考文献:柳谷素霊『鍼灸の実技』(昭和三十四年)
注:現代では滅菌したディスポーザブル鍼を使うのが一般的です。