法明寺鬼子母神堂(都指定有形文化財)・雑司ヶ谷鬼子母神のイチョウ(都指定天然記念物):近隣の見どころ・観光

法明寺鬼子母神堂(都指定有形文化財)


 鬼子母神本殿の建立は、棟札によれば寛文4年(1664)、拝殿と弊殿は元禄13年(1700)に建てられた権現造の建物です。『新編武蔵風土記稿』では、広島藩主浅野光晟の正室満姫(金沢藩主前田利常の3女)が寄進して造営されたと伝えられています。
 本殿は三間社流造、身舎側面2間ですが、内部は向拝を含めて方3間の一室となっています。本殿と拝殿をつなぐ弊殿は、桁行3間、梁間1間の室で、中央に3段の階段が設けられています。手前の拝殿は桁行5間、梁間4間、入母屋造千鳥破風付きの建物で、正面に唐破風の向拝が付き、前面と側面に縁がめぐっています。
 鬼子母神の由来は、永禄4年(1561)の鬼子母神像出現に始まったと伝えられ、『新編武蔵風土記稿』などによれば、初めは法明寺の塔頭東陽坊(後に大行院)の別当で、長く庶民の信仰の対象でした。江戸後期には将軍の御成もあったほど、大いに繁盛しました。
(東京都教育庁)

法明寺鬼子母神堂

雑司ヶ谷鬼子母神のイチョウ(都指定天然記念物)


 雑司ヶ谷鬼子母神堂に一際高くそびえ立つイチョウの巨木です。その幹周は6.63m、高さは32.5m、四方に10mに及ぶ枝を張り、都内では「善福寺のイチョウ」(国指定天然記念物・港区)に次ぐ巨木です。昭和5年(1930)に国の天然記念物に指定されましたが、昭和21年(1946)1月に解除となりその後、昭和31年(1956)に東京都の指定になりました。
 応永年間(1394~1428)に僧日宥が植えたものと伝えられています。鬼子母神堂の縁起によれば、天正6年(1578)5月1日、稲荷神社跡の叢林を開いて堂を造営したのが始まりとされていますから、このイチョウは、鬼子母神堂よりも古くから植えられていたと考えられます。
 俗に「子授け公孫樹」と呼ばれ霊験があると言われていましたが、鬼子母神の謂れと重なったのか、今では「子育てイチョウ」と呼ばれています。
 この大イチョウは、近接する池袋の繁華街とは対照的な静かな風景を作り出しています。

(東京都教育庁)

鬼子母神のイチョウ


参道から境内に入ると、左手にイチョウ、正面進んだ先に本堂があります。


新緑が鳥居に生える大イチョウ。


立ち並ぶ鳥居の先には武芳稲荷が祀られています。


本堂。



おまけ

雑司ヶ谷霊園


 観光向けではないのですが、鬼子母神の近くには雑司ヶ谷霊園があります。歴史に名を刻んだ日本の文筆家、芸術家、さまざまな偉大な先達たちが眠っています。御花を用意し、尊敬する人物のお墓参りをすることができます。

 

夏目漱石

竹久夢二

永井荷風

小泉八雲