鍼灸の実技:第8節 撚鍼法

鍼灸の実技:序・目次


第8節 撚鍼法


 撚鍼法は往古、中国からわが国に伝来してきた鍼法である。管鍼法が広く行われるようになってから、その簡単な方法につくものが多く、撚鍼法を行うものが少なくなったかのようである。これは練習のむづかしさと、熟練を要するからである。管鍼は刺激受容器を速やかに突破する効はあるが、したがって、刺激をもって治病効果を期待する、理学療法である鍼術の作用の一部分を失う結果ともなるのである。古人はこれを《腠理肌膚の術》といったのは、この皮膚刺激に重点をおいたからである。
 管鍼法には腠理衛気の術がないが、撚鍼法にはこれがある《杉山真伝流》ではこの管鍼法の失われた、腠理の術を補うに、管壁の厚い、重い鍼管をつくり、管散術、細指術として、管鍼法の失われた手技を補っている。

1.撚鍼法用の鍼尖

 管鍼法に使う鍼尖は杉山和一創始にかかる『松葉』であるが撚鍼に用うる鍼尖は松葉よりも少しく鋭利に磨いたものが適当である。著者は便宜上これを『柳葉形』と称したい。というのは、その葉形、松葉に比してやや鋭利であるからである。現今、中国ことに、香港製の鍼や、台湾出来の鍼をみても、日本の管鍼用の松葉鍼尖よりは鋭利につくられている。従って、管鍼には松葉形でいいが(これは列火をする必要からでもある)、撚鍼法用の鍼の鍼尖は、『柳葉形』としたいと考えられる。

2.撚鍼法の押手

 管鍼法には管鍼法施術に際して便利なように押手も種々考案されたのは上述の通りである。これと同しように、撚鍼法にも、また、撚鍼運手に最も適当な押手の構えがある。
 これは施術に便ずるばかりでなく、ありがちな刺痛を軽減する目的をもっている。その形態からいって、満月の押手、又は半月の押手、時として、筒立て、曇り立ての如き形態をとることもあり、中国古典にある《摂爪の法》の形をとることもある。これらは、病人の貴賎、男女、肥痩、肌膚堅脆、硬軟、厚薄、病気の如何、身体穴処の所在及び刺鍼の目的(古法的に云って、『補』『瀉』の相違によって形態を異にする)によって異るのである。

3.鍼尖接触の方法

 皮膚に鍼尖を接触せしむるには、十分に注意せねばならない。鍼術は鍼尖が皮膚に接触した時から初められている。藤井秀二博士が、博士のいわゆる「小児鍼」の研究において、『無痛接触鍼』が自律神経に対し、有痛刺鍼より効果のあることを提唱していることがらと、古人の腠理の術がどんなに臨床上重要視されたかを考合すべきである。ヨーロッパでは実際治療にあたって、3mm内外の深度に刺鍼するのが一般的である。このことも、如何に皮膚に対する鍼の作用が、効果があるかを物語っている。日本でも赤羽幸兵衛氏の『皮内鍼』はこの腠理の気、即ち古典的にいって『衛気』に対して作用を与えるものであると理解さるべきであり、昔も今も臨床成積をあげている記録、報告がある。
 このように皮膚は今後ますます神経学的に研究されてくれば、昔の古典的規定が、新しい意味をもってその意義と価値を世に問うてくるであろう。
 このような皮膚にたいして、鍼尖が触れることは、したがって、よほどの戒心と、慎重な注意をはらって、施されねばならぬ。といっても、わからないであろうが、鍼尖を皮膚に接するに、押してはならぬ、刺してはならぬ。ただ接触させるだけである。この接触させただけでも、人により、病気により、場所つまり穴処によって、異常の感、即ち、重い感、冷感、電気的刺激伝導感を起す人がある。更に、立毛筋の収縮、したがって毛穴が立ち、発汗を見、全身の温暖感を訴える人もある。脈搏、体温、血圧の変化を来すこともある。
 だから、鍼尖を皮膚に接すると同時に、被術者の顔貌、脈搏、呼吸、皮膚の色沢、明暗などについて、その変化を見落さぬように心すべきである。
 鍼尖を皮膚に接触させて、2、3呼吸そのままにしておく、それから極めて少し押してみる。この押えるというカは、力を入れる程でなく、押える気持の程度でよい。力を入れるのは禁物である。押えなくとも人によってしは、上記のような生体反応をもってこたえがあるものもある。ことに、刺痛があれば決して刺そうとしてはならない。それは刺激過大となるのみならず、皮膚筋肉の緊張を来して、鍼尖が皮膚中において緊縛せられ、抜鍼困難となるものである。思うに、生体が異物たる鍼を入れてもよい時にのみ、入るを拒まないのであろう。そうでない時は生体防禦反応として、鍼の入るのを阻止せんとするもののようである。従って、鍼を通じて手指に硬物を感ずるならば決して刺入してはならないのである。硬物を感ぜず、刺痛がなければ、管鍼法の穿皮のごとく、徐々に撚り、押して刺入するのである。

4.撚鍼法における鍼の撮みよう

 要は鍼尖が皮膚に接触するように押手を構い、鍼を撮むということにつきるのであるが、この時の鍼の撮みようは、鍼柄を撮むのが、法に叶っている。これは、鍼尖の皮虞に接触するか否やを知るに、もっともよいからである。鍼体を撮んで皮膚に接触させては、鍼尖と皮膚との接触度がわからないばかりてなく、まま、必要以上の力が鍼に加わり、刺痛の原因をつくることがあるからである。大体鍼を運用するにさいしては、鍼柄を刺手て撮むべきであって、ごく特殊の場合のみ鍼体を撮み運用すべきものである。もともと鍼体は運手のさいさわるべきものてはない。
 鍼柄を撮み、鍼体の弾力より弱い力を鍼に加えて撚り、押すべきである。撚りにしても、決して、ぐるぐると廻転させてはならぬ。撚りは、廻転ではない、あくまでも《ひねり》である。鍼柄の周りの一点をAとし、このA点が1廻りして、A点の位置にくることは、《ひねり》でない、1廻転である。《ひねり》の理想的手法は、半回転でありたい。このことは、無用に皮膚、筋に対して、刺激を与えぬことになり、従って、それらの興奮によっておこる収縮、即ち、渋鍼(刺抜時の困難)を防ぐことになる。

5.刺鍼運手

 撚鍼法における刺鍼の仕方について、古くから次の如くのべられている。
 鍼すべき穴を左拇指の爪で捫み、中指大指を合せて、穴上に置き、鍼尖をもって穴にあて、左中指にて鍼口を押え、食指大指を上にして、鍼を持ち、右の食指大指をもって軽く、鍼を撚り降す。鍼を抜くには、先ず少しく出し(退)、持ち直して引き出し、中指にて鍼の口を推し揉むのである。
 杉山和一検校はその著『杉山三部書』に次のごとく記載している。《撚りを一大事とする、補瀉あり、生死を知る。気を降すには左の方へ、気を益すには、右の方へ、撚る心に蓮の藕(いと)をもって、鉄石を撚り抜くがごとく、手の内を柔かにして、順と逆とを考え、撚るときは万病瘥えずということなし》といっている。味読の一文である。
 霊枢『九鍼十二原』に《毫鍼は鍼尖、蚊虻の啄の如く、静かに、徐々に往かしめ、微しくこれを留め、以って、痛痺を養う》とある。また、素間『九鍼論』に《尖、蚊虻の啄の如く、静かに、徐々に往かしめ、微しくこれを留め、正気これによって真邪倶にゆき、鍼を出して、養うものなり》とある。素開『宝命全形論』には《鍼を進むるには遅きにしくはなく甚急なれば血を傷る。鍼を退くには緩きにしてはなし、猛く出せば気を傷る》とあって、中国におげる鍼術運手の法は、毫鍼使用にあたっては、極めて緩漫に気をうかがいながら刺抜したものであった。
 『鍼道発微』の著者葦原検校が盲人臨床家として一世に名声をはくしたが、その言に《しづかに鍼を下し、左の押手は強からず、弱からず、呼吸にしたがい、鍼を抜くまでは少しも動かぬものなり、すでに鍼2、3分ほど下らば、1分程引きあげ、1寸も下らば、5分も引きあげ、鍼尖へ気のかかるを考え、或いは浅く、或いは深く、これを留め、微にして、これをうかべ、すすむが如く、受けるが如く、その腹なり動くをもって、鍼をさる。また、やわらかに鍼をさし入れ、これに従うが如く、至ってその術を軽く柔和にして、等しくこれを止め養って、気を調うべし》と実際臨床の心構えを述べている。また《毫鍼の術は大補と知るべし》と古典の心を直裁に表現している。

註 坂井梅軒の横刺法
 坂井梅軒はその著『鍼術秘要』に《余の鍼術は直剰を好まず、横刺を善しとす。何となれば、直刺は、例え鍼の竜頭まで肉中に入るといえども、病経を経過すること1、2分に過ぎざるのみ、これをもってその効をとること甚だ少し、横刺にするときは、鍼の鉾より竜頭まで、悉く病経に当る、故に直刺に比すれば、其の効十倍なればなり》とて、押手の拇示指頭で皮を撮み圧えて、鍼尖を指頭間におき、刺入する方法である。経絡に繆り刺すのである。この皮を撮みて刺入する方法は『霊枢、官鍼篇』にのべてある方法であって、即ち、《刺鍼は皮を引いて、乃ちこれを刺す》とあるのと同じである、今も鍼管を使わぬ鍼家が用うる方法である。

前のページ

次のページ

トップページ