豊島区の庚申塔・庚申塚:近隣の見どころ・観光

  この辺りは少し歩くと庚申塔・庚申塚をよく見かけます。

 
豊島区千早三丁目の庚申塔
これは庚申信仰によって建てられたものです。

 庚申信仰とは、十干十二支の一つ庚申の日の禁忌を中心とする信仰。中国では道教の説で、庚申の夜睡眠中に体内の三尸虫(サンシチュウ)が逃げ出してその人の罪を天帝に告げるといい、虫が逃げぬよう徹夜する風習があった。この守庚申(シュコウシン)の行事が平安時代日本に伝わり、貴族は庚申御遊と称し徹夜して詩歌管弦の遊びをした。武家でも庚申待として会食が行われた。のち民間信仰となり、サルを神使とする山王信仰と習合、またサルの信仰と結びついて猿田彦や道祖神をまつったりした。近世になると仏教の影響で青面金剛を本体として豊作福運を祈り、その信者が集まる庚申講は代表的な講となった。庚申塚や庚申塔は60日に1度の庚申待を3年間連続して行った後で供養のために築かれたもの。

 『日本史事典』(平凡社)より

舟形・延宝八年(1680)
唐破風笠付角柱型・貞享三年(1686)
唐破風笠付角柱型・正徳元年(1711)
この写真、豊島区千早三丁目の庚申塔は、江戸六上水のひとつ、千川上水ができた時代から昭和四十三年頃までは、きちんと保存されてきました。

 しかし、千川上水が暗渠になり、庚申塔付近一帯が宅地開発され、いつの間にか姿を消失しました。 地域住民が庚申塔の行方を捜索していたところ、昭和五十二年、練馬区の奥地北大泉の山林中に捨てられてあるのを発見し、もとの場所にもどすことができたと謂われています。

豊島区高松二丁目の庚申塔
笠付角柱型・享保六年(1721)


 江戸時代は結核は致死的な病気でした。結核は古くは、勞瘵(ロウサイ)や伝尸病と呼んでいましたが、これは、三尸虫が臓腑を食べることで起き、一家親類中に伝染すると考えられていました。

 そのため、伝尸病にかかると、薬で三尸虫を下そうとしたり、お灸で治療しようと試みました。庚申信仰のご利益の中に、厄除けや悪疫除去があるのもうなずけますね。

板橋区南町の庚申尊

練馬区羽沢のお地蔵さんと庚申塚

板橋区大谷口上町の庚申塔

豊島区長崎六丁目の庚申塔
駒形・安永三年