豊島長崎の富士塚(国指定重要有形民俗文化財):近隣の見どころ・観光

国指定重要有形民俗文化財

豊島長崎の富士塚

 所在地 豊島区高松二-九-三


 富士塚は、富士山を神の宿る地として信仰する人々の集まりである富士講によって、江戸時代後期以降、主として富士登山が困難な人々のために、江戸とその周辺地域に築かれたものです。

 この富士講は、角行(カクギョウ)を開祖とし、江戸時代中期には身禄(ミロク)によって広められ、最盛期には江戸八百八講と称されるほどの講が結成されて代表的な庶民信仰の一つとなりました。

 豊島長崎の富士塚は、文久二年(一八六二)に富士講の一つである豊島郡長崎村の月三講(講祖は三平中兵衛)の椎名町元講の人々によって築造されました。高さ約八メートル、直径約二十一メートルで、表面は富士山の黒ボク石(溶岩)でおおわれています。

 塚内には、頂上に大日如来坐像、小御嶽石尊大権現碑、烏帽子岩奉献碑があるほか、合目石、講碑、石仏、天狗像、御胎内などが配置され、約五十基の充実した石造物群で構成されています。浅間神社では、かつてお焚き上げが行われており、奉納された数多くの講碑からは長崎村の人々の富士信仰の強さと、近隣地域の人々との交流をうかがい知ることができます。

この富士塚は、東京都内にある江戸時代に築造された富士塚の中でもよく原形をとどめていることから、昭和五十四年五月二十一日に国の重要有形民俗文化財に指定されました。その美観と偉容を永く後世に伝えるため、昭和六十二年には昭和大修復が行われ、以後浅間神社豊島長崎富士塚保存会によって山掃除や保存修復事業が定期的に実施されています。

平成十九年(二〇〇七)三月
 豊島区教育委員会



 豊島長崎の富士塚は住宅地の中にあり、入口はせまく、細い道路に面しています。目的を持って行かないと、めったに発見できないでしょう。その目の前は公園で、近所の子供たちは「フジコ―」と呼んでいます。「富士講」だからではなく、「富士塚のある公園」の「フジコー」です。

東京都豊島区高松2-9-3